
猫が渡来した理由とはいったいなんなのでしょう。私たちの生活に欠かせない存在となっている猫ですが、実は初めから日本に存在していたわけではありません。今回は猫が渡来した理由を紐解いていきたいと思います。また猫に関する豆知識も紹介いたします。
猫が渡来した理由、日本の歴史的事象を徹底解説!
我々の身近で当たり前の存在である「ペット」。
中でも特に飼いやすいと人気である猫が渡来した理由には、深い歴史的背景がありました。
実は猫の先祖は中東砂漠地帯に生息していたリビアヤマネコであることが確認されており、日本には元々生息していなかったことがわかっています。
猫が本能的に水を嫌う習性があるのは、猫の先祖が砂漠に生息し、水を浴びるという習慣がなかったためと考えられます。よって自力で海を渡ってきたという可能性は低いわけです。
それでは、どのように日本に渡来したのでしょうか?
猫はメソポタミアから古代エジプトへ伝わり、その後ヨーロッパに広がります。そして、中国を経由し日本へ持ち込まれてきたとされ、その理由には仏教の伝来と深い繋がりがありました。
今回MOFFMEでは、
- 猫はいつどこから日本に渡来したのか
- 猫が渡来した理由
- 猫が登場する流行作品
猫は平安時代から日本に存在している!
平安時代に入り、多くの書物に猫の名称が記されるようになります。
猫が渡来した一番の有力説は平安時代から日本に存在しているという説です。その理由は、猫という名称が平安時代の書物の文献に現れたことがあげられます。
平安初期では猫が中国から輸入されたばかりでとても貴重な存在だったため、限られた貴族のみが飼育を許されていましたが、後期に入ると猫の希少価値はなくなり、比較的身近な存在となり現在のように一般家庭においても猫が親しまれていきました。
この頃から貴族を中心に猫ブームが起こり、使役動物から愛玩動物へと瞬く間に変化していくのでした。
それでは、
- 中国から猫が渡来した理由
- 猫の足跡がついた土器の発見
奈良時代に中国から猫が渡来した理由
実のところ、猫がいつ頃日本に渡来したのか、はっきりしたことはわかっていませんが、一番有力な説として、奈良時代から平安時代初期にかけて、遣隋使や遣唐使らの船に乗せられ、仏教が伝わると同時に持ち込まれたとされています。
中国では、猫が仏教の大切な経典や重要書物をねずみから守る使役動物として活躍していました。そのため日本に仏教が伝わる際にも、経典や重要書物とセットで猫が持ち込まれたとされています。また、伝染病を媒介するねずみをも駆除し、結果的に疫病の予防にも繋がりました。
奈良時代に書かれた『古事記』や『日本書紀』には猫の記述はありませんでした。しかし文献上で初めて、日本最古の仏教説話集である『日本霊異記』に猫の存在を確認することができたのです。
このように始めは人々にとって大切な害獣駆除のための使役動物であったのにも関わらず、人々に重宝され、やがて存在意義が愛玩動物へとシフトしていったのです。
猫の足跡がついた土器
ここで、日本に猫が渡来したとされる新事実が発見されます。
2007年、兵庫県姫路市の南東部にある見野古墳の3号墳と6号墳を再調査している際、6号墳で小型の獣の足跡がついた須恵器が見つかりました。
専門調査によりその足跡は猫である可能性が高いとして、日本で最も古い猫の足跡と推定されています。器が焼かれる前の乾燥工程で猫の肉球によって踏まれたものと見られ、この頃からすでに人々の傍には猫がいたのではないかと予想できます。
この足跡が猫のものだと断定できれば、これまでの通説は大きく覆され、当時の外交をより深く知るためのキーポイントになるかもしれません。
つまり、猫が渡来した時期の証拠には
- 日本霊異記による(奈良時代から平安時代初期に伝来説)もの
- 見野古墳で発見された須恵器による(古墳時代後期から飛鳥時代に伝来説)もの
猫は唐から渡来してきたので唐猫!
唐猫とは、中国(唐)から日本に渡来した猫を指します。
上記でも述べたように、平安時代に猫ブームが起こり、唐猫は天皇や貴族に溺愛されていました。しかし、平安時代初期に唐猫は高価で貴重な交易品であったため、首に縄をかけられ飼われていました。
当時上陸した唐猫は、黒・白・茶虎のような三毛猫の三種類だったと言われており、現在見られるような、真鱈模様や斑模様の猫は存在していなかったと思われます。
ここからは、
- 宇多天皇の日記『寛平御記』
- 清少納言の書いた『枕草子』
第59代宇多天皇の日記「唐猫」
平安時代に入り天皇や貴族に寵愛された唐猫ですが、中でも唐猫を溺愛していたのは第59代宇多天皇です。宇多天皇が当時17歳の時、父親である光孝天皇から黒猫を譲り受け、その様子を『寛平御記』に細かく記しています。この『寛平御記』は日本最古で初の飼い猫記録と言われており、およそ10巻に渡りその様子が記録されたと言われています。
その内容の一部は下記の通りです。
愛其毛色之不類。餘猫猫皆淺黑色也。此獨深黑如墨。爲其形容惡似韓盧。
(毛色は類い希で、他の猫が灰黒色なのに比べ、この猫だけは墨のように黒く、大変愛おしい。まるで韓廬[=戦国時代に菅野国で産出された猟犬]のようである。)
豈啻取材能翹捷。誠因先帝所賜。雖微物殊有情於懐育耳。
(ただこの猫が何か優れているという理由で可愛がっているのではなく、先帝が下さったものであるから、どんな小さなものでも大事にしているのである。)
この内容を見ると宇多天皇の猫のようにツンデレな性格が見て取れますね笑
枕草子に登場!一条天皇も愛した唐猫
この時代の天皇にあたる一条天皇は異常な猫好きで、その后である定子に使えた清少納言はその様子を『枕草子』に記していました。
内容の一部は下記の通りです。
上にさぶらう御猫は、かうぶりにて、「命婦おとど」とて、いみじうをおかしければ、かしづかせ給ふ
(殿上でお仕える御猫は、五位の位をいただいた「命婦の御許」と名付けられたとても可愛い猫で、天皇もたいそう大切にしていた)
命婦とは従五位下の位を持つ女性のことを言い、この猫は内裏に自由に出入りできる殿上人の扱いを受けることになります。
また貴族としての扱いを受ける命婦の御許に馬の命婦という乳母つけ大切に育てていたという記録があります。命婦の御許は猫を愛玩動物として飼育していた例のうち、名前を持つ特定の個体として記録が残る最古の例としても有名です。
このように枕草子の内容を見ても、一条天皇が無類に猫好きであったことが伺えます。
猫が登場する流行作品
江戸時代以降にもたびたび猫ブームが起こり、猫をモチーフとした浮世絵や小説、グッズなどが流行します。
江戸時代に活躍した浮世絵師である歌川国芳は数々の作品で猫を描き上げています。
中でも流行猫の戯は大の猫好きである戯作家である山東京山とコラボし、猫を擬人化させ、当時流行していた歌舞伎を描かれたパロディ作品です。
歌川国芳の作品は他の作品と比べてもユーモアに溢れ、見応えがある作品ばかりです。
ここからは、
- 歌川国芳の作品『鼠除けの猫』
- 夏目漱石の作品『吾輩は猫である』
江戸時代には鼠除けの草紙が流行
歌川国芳は流行猫の戯の他にも猫にまつわる多くの作品を残しており、その一つに『鼠除けの猫』という作品があります。江戸時代では、ねずみ除けのため猫を飼うことが勧められていましたが、当時猫は高価で飼える農家が限られており、この作品は、害獣であるねずみを家から追い出すためのお守り的な役割を果たしました。
此図は猫の絵に妙を得し一勇斎の写真の図にして
これを家内に張おく時には鼠もこれをみれば
おのずとおそれをなし次第にすくなくなりて出る事なし
たとへ出るともいたずらをけっしてせず誠に妙なる図なり
(これは猫の絵に関しては他の追随を許さない国芳の絵だ。これを家の中に張っておけば鼠も出てくることはない。たとえ出てきたとしても、妙ないたずらをすることはない。とても秀逸な絵だ。)
これは鼠除けの猫の上部に描かれた文言です。
夏目漱石「吾輩は猫である」
まとめ:猫が渡来した理由
現代の私たちには当たり前の存在と言っても過言ではない「猫」の歴史的背景についてまとめましが、いかがでしたか?
これらを大まかにまとめますと、猫が日本に渡来した理由は「害獣駆除のために使役動物として伝来した」と言えます。
その後、仏教に用いられる経典などをねずみから守るため古代の人々との暮らしが始まります。
猫は重要書物を守るだけでなく、穀物や米などの食料を守り、感染症を媒介する害獣までも駆除し、当時の人々の暮らしは多少なりとも守られていたと言っても過言では無いでしょう。
魅力的な容姿や振る舞いはやがて人々に寵愛され始め、愛玩動物として品位を高めます。
当時猫は高価で貴重な動物とされており、大半は貴族に飼われており、一般の人々はその様子を草紙などの作品として収められたものを、家に飾りお守りとして置くことも少なくありませんでした。
古代の日本人が何百年に渡り愛し続けた猫をこれからもずっと守り、愛し続け、猫が渡来したことへ感謝しつづけていかなくてはなりませんね。
MOFFMEでは、他にも様々なペットや保険について解説しておりますので、ぜひ参考にしてみてください!